《コラム8》常識を疑って見るところに未来が開ける

【第8話】このコラムはシリーズです。第1話からお読みください。

 

可能性を広げるために・・・

 

娘のインターンシップが、フランスのパリで始まりました。

多国籍企業で働かせてもらっていて、日本とは違う働き方で、毎日、毎日、新しいことにときめいているようです。

子供が生き生きと生活しているって、世界中のどの親にとっても、こんなに嬉しいことはないでしょう。

 

その反面、両祖母からぶちぶち言われ続けるのは私で、、、

私の母:「私だったら、一人娘を海外なんかに絶対行かせはしないわね、、」

私:「え?? でもママ、日本でもそんなに会ってないやん。それにいつもLINEじゃん。岡山とフランス、どっちでも同じじゃない?」

私の母:「いいえ、それは違うわよ!」

私:「何が違うの?」

母:「日本ならなんとなく、近いじゃない、、」

私:「・・・・・」

 

義母に言わせれば、、

義母:「フランスの大学院まではいいわよ。。でもインターンシップがフランスなんて、、あなたそれは、フランスで就職するということなのよ。。寂しいじゃない!

私:「はい、、そのつもりで、本人も頑張ってますが、、、」

 

心配するのも、寂しいのも、すごくわかるのですが、、、

過保護にすることで子供の世界を狭めてる、、って、2人とも思ってないんですよね。。

 

 

私の生い立ち

 

私はその母に育てられたので、今から思えば、本当に小さな、小さな世界で生きてきた、、ってことが今だからこそ実感できます。

私の母は専業主婦で、「子育てと家事が女性の仕事であり、幸せである。」と思って生きてきた女性で、私にも、娘にも、それが一番の幸せと思って信じています。

しつけは厳しかったけど、愛情もってかなり過保護に育てられ、母が引いてくれたレールに従いながら生きてきたので、母無しで独り立ちできるのか心配だった自分もいました。

中学校で、あの『置かれた場所で咲きなさい』のベストセラーで知られる、シスター渡辺和子さんが前理事長だった岡山県にあるノートルダム清心学園の清心中学校に母の薦めで入学し、高校卒業までの6年間を過ごしました。

倉敷の小高い丘の上に立つ、緑豊かな自然に囲まれた学校で、芝生の美しい校内の真正面には教会があり、シスター達の厳しいしつけの中で育ちました。

バスを降りる時は、運転手さんに「ありがとうございました。」を言うこと、電車の中で年配の方には席を譲ること、下駄箱への入り口はヒエラルキーがあり、先輩から。。。
始業時間間際になると、玄関は長蛇の列になり、それでも3年生から入るなどなど。

教会の裏には修道院があり、その向こう側に竹藪があって、中学校の時に友達とランチタイムを短縮して、竹の子を取りに行ってたら、案の定シスターに見つかり叱られたり、、人と違うことしてる時って、必ず叱られます。(叱られた本当の理由は何だったんだ?)

でも私にとって清心学園での女子校生活は、今でも繋がる女友達にも恵まれ、今思い出しても温かい感情の込み上げる良い思い出です。

高校生活が終わり、大学を決めるとき、今度は父の方がうるさくて、、、

ちょうどその頃、「女性はクリスマスケーキ」と言われていた時代でした。

この話、30代、40代の生徒さんにしても、知らないんですよね。。(笑)

クリスマスケーキって、23、24日まで売れるけど、25日から安売りするでしょ。

女性の結婚適齢期もその例えと同じだったんですよ。(笑)

 

だから父は、結婚前の女子が年をとることをすごく嫌い、「短大でいい」「絶対に留年するな!」とずっと私に言い続けました。ひとり暮らしなどはありえず、大学の選択肢は、岡山県内です。

大学のときにやっと行かせてもらえたアメリカやイギリスの短期留学も、留年しないギリギリの期間で戻ってこなくてはいけなくて、何とも中途半端な留学です。現地にも、英語にも慣れたと思ったら、帰国しないといけないのです。

のちにこのことが、ずっと私の後悔を引き起こすことになりました。

 

当時、短大の方が就職率も圧倒的によくて、4年生大学は就職しにくかったのも事実で、女性の就職は、結婚までの腰かけとも言われていましたので、大企業に就職して、3高(高学歴、高収入、高身長)の旦那を見つけて結婚できたらサクセスストーリー。(笑)

それがバブルの時代で、時代のトレンドでした。

 

このとき父の反対を押し切っても4年生大学に行きたくて、高校の成績も良かったので、それを使ってノートルダム清心女子大学の英語英文科へ進みました。このように大学までの私は、ほぼ自分で選択することのない人生を送っていました。

大学に入って、初めて外の世界をみた時、ここから私の反抗期が始まりました。(笑)

抑えられていた爆発でしょうね。。

「絶対に岡山から出る!」と決めて望んだのが、就職活動だったのです。

また運よくも、大学生活4年間の間に、短大有利だった就職も、男女雇用均等法が施行されて、急に4年生大学の方が有利に逆転したのです。

そして当時、航空会社も抜いて人気No.1企業だったJTBに総合職として入ることができました。競争率も高く、しかも中四国から入れたのは、たった3人でした。

ここで実感したことは、たとえ両親が私のためを思ってアドバイスしてくれることでも、正しいとは限らないと言うこと。

数年後の時世の流れまで読むことは出来ませんから。。。

唯一確かなことは、「諸行無常」で、この世に不変のものはないということ。

だったら後悔しないのは、誰に何と言われようとも、やりたいことをする「自分の選択と行動」が大切だと悟りました。

 

 

あなたの未来を幸せに変える第一歩

 

MIKA DECO Parisサロンには20代から70代くらいまでの生徒さん達がきてくださいます。この10年間経営してきて、たくさんの女性達と話している中で気づいたことは、、

特に女性は、親からの干渉が厳しい人たちも多くて、やりたかった夢を諦めたり、親の言われるままに従ってきた人たちが多いことです。

それは、その時代の日本社会の価値観やしきたりで教育された親から教えられることが多く、「女性はこうあるべき」と言う世間体で強いられることもあります。

良妻賢母もまさしくそうで。。その罠にハマってしまって苦しんでいる人も多いでしょう。誰のために良妻賢母でいなくてはいけないのか?

自分の幸せなくして、「こうあるべき」と言う上辺の形を作っても、実際のところ、家族には良い影響が出ません。

新しい考え方を持って、世間での常識を疑ってみるところに、新しい未来が、また家族の未来が開けると思います。

 

だから、自分自身にとっても、子供のたちのためにも、もちろん夫に対しても、、

私は、女性が好奇心や知的好奇心を持って、大きく視野を広めていくことで、みんなを新しい世界に連れて行くことができる「大きな存在」なんだと思います。

 

世界から見みると、あなたはさらに魅力的になる・・・

トータルエレガンスコース

つづく。。。

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